昨日から始まったみゆまっしーのノンフィクション小説・第二話。地下鉄で偶然知り合った10代メキシコ人男性をひょんなことから実家に住まわせることになった私。第一日めから一抹の不安がよぎるが大丈夫?…5回位では終わる予定。どうぞよろしく!
※こちらが前回(第一話)
...................... 第二話 ..........................
右こめかみの奥に内蔵された私の『なんだそりゃ!』カウンターが、今日二回めのカチッを打った。いや、さっきはその音だったが、今回に限ってはカウンターボタンを壊れんばかり勢いで押したから、かなりの大音量で鳴ったはずだ。はずだ、と曖昧なのは私の声の方がはるかに大音量だったので、完全に打ち消されてまったく聞こえなかったからである。
「ちょ、ちょっーとちょっと!何してんの!
いらないやめて!ひねるだけでいいから!」
台所でライターある?って急に聞くから、一日二箱のそこそこヘビースモーカーの私(註:今は無期限休煙中)は、ポケットから出して貸してあげたのだが。何に使うの?聞かなかった私が馬鹿だった。
彼はおもむろにガスコンロのつまみを回しながら、ライターの火をバーナーの先に近づけたのだ。
今でこそメキシコの一般家庭のガス台のそばには必ずチャッカマンがあって、それで火をつけるのが当たり前だということを知っているけど、そのときの私は家のカーテンにライターの火を近づけられたくらいの驚きようで叫んでしまった。
私の声に驚いてキョトンとした彼に、私はおそるおそる尋ねた。
「…ねえ◯◯、自炊できるって言ったよね?」
「もちろん。でもそれはメキシコでの話。日本は勝手が違うから…」
ああ〜まあ、確かに。
でもホストファミリーのうちでさんざお母さんの料理の風景なんか見てたんじゃないの?まあ男の子だから興味もないし、お母さんも手伝わせようとしなかったか。
ともかく我が家のナベカマのありかを教えるのに、今日はここで一緒に料理をすることにして正解だったわ。
買い物も近くのスーパーを教える意味で、母にも同行してもらって3人でさっき行ってきたが、おおよそ自炊をする感じの買い物ではなかった。いきなり紙パックオレンジジュースを5本。お友達呼んでテキーラサンライズパーティでもするの?カチッ
ヘルシーだから日本で食べるようなものを食べたいって言ったクセにお米さえ買おうとしないから、とりあえず2kgの米を勝手にカートに入れてしまった。
そしてその米をさっそく今、炊いている。
今日のメニューは彼のリクエストでカレー。美味しいから作れるようになってメキシコの家族、彼を育ててくれたお祖父ちゃん・お祖母ちゃんに食べさせてあげたいんだとか。彼が軽く説明してくれた話によると、お母さんは若いうちにシングルマザーで彼を生み、早いうちから彼を祖父母に預け、現在は異母兄弟のお父さんである人と暮らしているらしい。
そのお母さんとは時々会うもののやはり確執があるようだが、お祖父ちゃん,お祖母ちゃんの話をするときの彼はとてもあったかい顔をしている。本当に好きなんだろう。そしてきっとお祖父ちゃんたちも彼のことをとても可愛がってきたんだろう。でないとこんなに穏やかな性格のよい子に育たないだろうし、何より遠い日本に行かせてあげようと思ってもくれないだろう。
会ったことのない素敵な彼の祖父母のため、おいしいカレーの作り方をしっかり伝授しようではないか!私はライター事件は忘れることにして、目の前のお料理教室に集中した。
「包丁はここを開けるとあるの。こっちが野菜用。こっちが万能。ま、こっちだけでいいかな?じゃあ、これでニンジンをくし切りね。…こんな感じ。…うん、そうそう」
「で、そもそもなんで日本に来ようと思ったの?」
「アユが好きだから」
「アユ?魚の?」
「魚???いや、だから浜崎あゆみが…」
カチッ。ああ、そーですか。
「もうカワイイ〜キレイ〜歌ウマイ〜〜〜」
…どうでもいいけど、なんでそこで両手グーの手を口に近づけるわけ?キモいんですけどってか何で包丁持ってないのよ!ほらほら、ニンジン切ったら次は肉!アタシは明日は仕事だから、これ食べたら代々木に帰るから。ちょっとピッチあげるよ!
結局食べた後も雑談して、私が彼の「新しい家」を出た時には22時をまわっていた。駅まで送ってもらい、改札で別れたときに私が彼の背中を見送ったのだが、私は無意識に両手パーの手のひらを口の前でくっつけて、両親が眠り彼が帰っていく家の方向にとりあえず念を送ってからホームへと降りていったのだった。
階下の父母が火事に巻き込まれるなんてことが…ありませんように!
ちょうど私の仕事も遊びも忙しい時期だった。
私の代々木のマンションに彼が遊びに来たり、彼が英語教師として働きだした語学学校の帰りに新宿で待ち合わせたりと、まったく会わなかったわけではないが、まあほとんど会わないまま世の中はその年の最後の月に入っていた。
ある日曜。久しぶりに私は実家に帰った。
仕事はまだまだ忙しいものの、自分の気分転換と彼の日本新発見のために、ちょっと奥多摩あたりをドライブしようかという約束があったためだ。
あわただしく一階の両親にあいさつし、すぐに外階段で二階へと上がる。
「◯◯、来たよー!さあ行こうか〜?」
インターホンをビンビン押しまくるテンションMaxの私。
しかしドアから出て来たのは正反対のテンションの彼だった。
「ごめん。頭が痛いんだ。
約束してたけど行けそうもない。
ごめん。」
部屋着?寝間着?ドア越しだし中は暗くてよくわからないけどずっと寝てた?それにヒドい声。顔色は真っ青。確かに体調は最低のようだ。
「ああ、そう。そりゃしょうがないね。
お大事に」
そう言うしかないからそう言って、再び階下に降りたけど。
私はちょっと、いやけっこう怒っていた。
だったら電話一本くれてもいいんじゃない?アタシだって忙しいなか時間作ってコッチに戻って来てるのによ?無駄足じゃん。頭痛いって言っても今玄関まで出て来られたわけでしょ?だったら電話なりメールなりも出来たんじゃないの?
病気なら色々困っているかも。何か必要なものある?食べたいものある?って聞いてあげようか?
ちょっとはそう思ってみたものの、今の「ごめん」に誠意が感じられなかったのに、何でアタシがそこまでしなくちゃいかんのよ。子どもじゃないんだし、自分一人で出来るって言って二階に住んでいるんだから自分でなんとかするでしょ。できるでしょ。
薄情な私の中で心配より怒りのほうが勝利をおさめた。そこで二階には結局一回も顔も出さずに母の手料理を満喫して、それなりに機嫌を直して私は自分のマンションへと帰っていったのだった。
なぜ、あの時もう一度二階に行かなかったのか。
いつも好青年な彼があの日に限ってあんな失礼な態度をとったのかを、どうしてもっと突き詰めて考えなかったのか?
何かがおかしい。そう、あの時気づいていれば、
いや、気づかなくても、せめてもう一度会ってさえいたら
もしかしたら一連の騒動は食い止められたかもしれない。
そして。
彼はこの日を最後に、私たちの前から突然消えた。
そのことを知ったのは、2日後の母からの電話だった。
それ以降私の「なんだそりゃ」カウンターは、まるでひきつけ患者のしゃっくりのような気持ちの悪い連続性で、彼の部屋で、職場で、警察署の一室で…ありとあらゆる時間と場所で、右のこめかみ奥で鳴り続けることになる。
第三話に続く ↓
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