みゆまっしーのノンフィクション小説・第六話。自殺をしようと山で赤い花を大量に食べ、その後頑に本名を明かさない彼は不審人物として病院から秩父警察に引き渡され勾留されていた。行方不明から二週間ぶり。ついに面会室で私は彼に再会する___
前回まで
...................... 第六話 ..........................
秩父警察署の面会室。
そこもやはり刑事ドラマでよく見るような部屋とはどこか違っていた。たとえば私が座るよう指示されたのは、相手の体温も感じられそうなつい立ての近くではなく、ずいぶん離れた、後ろの壁に近いところに置かれたパイプ椅子だった。
ああ、あれは面会人と被疑者をいわゆるワンカットで同時にカメラに納めるための便宜上の配置なのね。それとも都内は土地が高いからどうしても手狭であのようになるけど、秩父は土地がたっぷり、部屋はゆったり取れるからこうなるのかな…?
私は先ほどのA氏の話にかなり動転し、さらにこの後に控える彼との再会にとても緊張して全く余裕のない状態だったにも関わらず、彼が現れるまでこうした余計なことをつらつらと考えていた。いや余裕がないからこそ、余計なことでも考えていなければ私は落ち着いて座ってなどいられなかったのだ、と今だから思う。
しかし、向こうのドアから警察官に前後を囲まれて現れた彼を見た瞬間から、私は余計なことを考えて落ち着くことすら完全にできなくなってしまった。
ほんとうに彼、なのか?
何だ、この彼の変わりよう、は____
いつも髪は整髪料でビシッと整え、服も清潔、歯磨き粉の宣伝お兄さんになれるんじゃないか?ってほどの爽やか好青年オーラをまとっていた彼が、髪は乱れヒゲが伸び、服がよれよれ。しかしこれらは拘留中である以上仕方ない。そんな外見より何よりその荒(すさ)んだ雰囲気、彼から出ているオーラが、全くの別人のものなのだ。
私はこのときに、本当に彼は何か犯罪を犯しているのでは___そんな疑念を持ってしまったことを、今、正直に告白しよう。
自炊はしてない。語学学校にも勤めていない。その他にも次々見つかった嘘だらけの彼の生活。そして病気のことも、警察による健康診断では問題がなかった、だと?
なんなのだ!なんなのだ!なんなのだ!
あの笑顔も、あのお祖父ちゃん・お祖母ちゃんへの愛も、皆みんな嘘なのか?いったい何が本当なんだ。お前はいったい何者なんだ!
私は、もしかしたら厳しい、きつい、ひどい目つきをしていたのかもしれない。そして彼が私を見たときも、その瞳には私と再会できた喜びの輝きなんぞは微塵も現れず、ひたすら冷たい、暗い、重い目つきだった。
「では、面会を始めます。ここでは日本語以外の使用を禁じます。日本語だけでお話ください。時間は15分ほどを予定していますが、場合によっては早めに切り上げさせていただくこともあります。それでは、どうぞ。」
A氏か彼を連れてきた警察官か、もう誰の声だかもわからない。誰かが遠くの方でそう言った。しかし私も彼も、無言のまま、ただ座っていた。
何か言わなくちゃ、そう決心して彼の顔を見ても目線が合わない。話の糸口が見つからない。何を言えばいいのかまったくわからない。わからない。わからない___
そう思っているそのままの言葉が私の口から出た。
「◯◯。わたし、わからない。何も、まったく、ぜんぜんわからない。」
「 _______ 」
「◯◯が急にいなくなった。私は悲しかった。手紙はあった。それだけ。私は悲しかった。さびしかった。◯◯と私はともだち。そう思っていた。間違っていますか?私は…わからないです。」
彼がわかる日本語で話そうとするとなんとも舌足らずな感じだが、きっと彼が日本語検定のN1合格者だったとしても、私が言えた言葉はたいして変わらないだろう。これ以上は私は、もう何も言えない。そこで彼の言葉を待った。
私に対し、ちょっと斜め下に視線を落としていた彼の唇が、小さく動いた。と、ほぼ同時に彼は手で顔を覆った。ごぼっごぼっとその手の隙間から言葉が聞こえた。そう、まるで結核患者が血を吐いているような苦しそうな声だった。
「みゆまっしー、ごめ、ごめん。…ごめん。みゆまっしーはともだち。…ごめん…」
「あやまらないで。大丈夫。泣かない。泣かなくてだいじょうぶ。◯◯は悪くない。悪くないよ。大丈夫」
その瞬間私には「わかった」。理由なんてない。それが降りてきた、それだけだ。
そうだ、大丈夫。彼は変わっていない。私の知っている優しい好青年___いや、本当のところはまだまだ少年、子どもなんだ。だからこそ彼は虚勢を張り、一人で必死に抗(あらが)っている。血を吐きながら。
ともかく心はつながった。いや、つながったままだった。私は彼を信じられる。言うことにたとえ嘘があったにしても、私は彼という人間、は信じられる。そして信じてあげられるのは、今、この日本に私ひとりだけ。そう、彼を守ってあげられるのは日本に私だけだ。
せっかくお互いに友だちであることを感動的に確認し合ったにもかかわらず、私はこのときから微妙に彼に対するスタンスを変えることになった。友だちというよりは家族、そう姉、いやすでに「母」の心境である。ともあれ。
少しでも私のなかの細かい「わからない」を解消することが、ひいては彼が一日も早く釈放されることにつながると思った私は、すぐさま刑事もまっ青の取り調べを開始した。なんせ時間は15分。もたもたしているヒマはない。
「手紙、あれは本当ですか?」
「・・・ほんとう、ではありません。」
「では、なんで自殺をしたのですか?」
「?じ、じさ…?」
「suicidio」
「日本語以外は使ってはいけません!」
「ああ、すいません。失礼しました。」
私は向こうの国での自殺のジェスチャーがどういうものか知らなかったので、手刀で首を切る仕草と両手を喉に当て苦しそうにする仕草をしたのだが、あれ?この後の方は殺人のジェスチャーかな?と思い、えーっとえーっと、と真剣に悩んでしまった。しかしこれは実際のところ無駄骨だった。私がポロリと出したスペイン語の単語を彼はちゃんと聞いて理解していたのだから。
理解はしたが、日本語でなんと答えていいかわからない。そんな顔を彼がしていたので、私は質問を変えた。
「あなたは病気ではありません。死ぬ。死にます。これは必要ありません。そうですね?」
「病気、あります・・・私、死にます・・・」
「?手紙にあった脳(指で指して)の病気は…」
「ちがう!#$%&""&>`@::*(註:私には聞き取れなかった)死ぬ!死ぬ!こわい!こわい!こわい!!」
「◯◯、落ち着いて。ごめん。・・・落ち着いて…」
彼は錯乱状態、になってしまった。すぐさま彼の後方___ドアの脇に腰掛けていた警察官が言った。
「ああ、もうスペイン語、使っていいです。ともかく彼を落ち着かせてください。」
それからは私はありったけのスペイン語で彼に声をかけた。
心配しないで大丈夫。私がいるよ。この警察の人も君を心配してスペイン語を話すことを許してくれたよ。皆みんな心配しているよ。こわくない。こわくない。大丈夫、大丈夫。心配しないでいいよ______
それから時々警察官に会話を説明しながら、また、日本語でもいいところはあえて日本語にして、変な会話___例えば麻薬の隠し場所___をしているのではない、とアピールしながら、落ち着いてきた彼とスペイン語で話をした。
そうして___彼が恐れているものの正体が、分かった。
私は強く、自信を持って彼に言った。
実際に自分も本当にそうなのか検査をしたわけではないなら、ネットでの中途半端な自己診断で決めつけてはいけない。ともかく、警察に捕まるような悪いことはしていないのだから、しっかり話して早急にここを出て、まずはきちんと検査をしよう。
そう。例え君のイタリアの「彼」がHIV検査の結果が陽性だったとしても____君も即、陽性とは限らないのだから。
声に出すことで、私がまず、そう信じたかったのだ。
第七話に続く(あと二回!)↓